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ルスコーニ・フィルム、ゴーモン・インターナショナル:作品
1974年,イタリア/フランス 制作:ジョヴァンニ・ベルトリッチ 監督:ルキノ・ビスコンティ 脚本:ルキノ・ビスコンティ,スーゾ・チェッキ・ダミーコ,エンリコ・メディオーリ 撮影:パスカリーノ・デ・サンティス 音楽:フランコ・マンリーノ,モーツァルト(神よ!私の心を、協奏交響曲K364) 編集:ルッジェーロ・マストロヤンニ 美術:マリオ・ガルブリア 衣装:ヴェラ・マルツォ、ピエロ・トージ 助監督:アルビーノ・コッコ
上映時間2時間2分、テクニカラー・トッドAO,英語
初公開1974年12月、日本公開1978年11月25日(岩波ホール)
1975年度ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞・作品賞、ニューヨーク映画祭出品作
出演:
バート・ランカスター(教授) シルバーナ・マンガーノ(ビアンカ・ブルモンティ) ヘルムート・バーガー(コンラッド・ヒューベル) クラウディア・マルサーニ(リエッタ・ブルモンティ) ステファノ・パトリッツィ(ステファノ) エルヴィラ・コルテーゼ(エミリア) ロモロ・ヴァッリ(弁護士) クラウディア・カルディナーレ(教授の妻) ドミニク・サンダ(教授の母) 政治的、社会的に混乱した70年代のイタリア、ローマの古いが優雅な豪邸に住む老教授は他人との接触を嫌い,家族の肖像画を蒐集する孤独で平穏な生活をおくっていた。 ある日一枚の肖像画を媒介に,ビアンカ・ブルモンティ伯爵夫人に階上の部屋を貸すこととなる。娘のリエッタ,その婚約者ステファノ,そしてビアンカの愛人コンラッド達が次々と現れ,教授の平穏な生活は崩れて,その人間関係の渦の中に巻き込まれていく。 階上の部屋に住むこととなったコンラッドと部屋の改装の事で諍いが持ち上がったが,意外にも絵画や音楽の教養を持つ学生運動家くずれの彼に、教授は好意を持つようになる。 ある晩教授は,暴漢に襲われたコンラッドを,戦時中に亡命者やユダヤ人をかくまうために母親が作らせた書斎の秘密の部屋で介抱し助けた。翌晩、リエッタやステファノとマリファナを吸う全裸のコンラッドを目撃する。自由に振る舞う若者を前に、教授は我が身の過去を置き換えうなだれるが、コンラッドを養子にとリエッタは提案する。 教授は彼らを晩餐に招待した。ビアンカと口論になったコンラッドは二人の関係に終止符を打ち、以前から思想的にもわだかまりのあったステファノとも殴り合いとなり、部屋を出ていった。教授は「あなた方が私の部屋の階上にいたことは、死のように無感覚で何も聞こえない深い眠りから私を目覚めさせた」と、述懐する。 ある日、教授の元へ「親愛なる教授、そうならないことを望みますが,もう二度とお目にかかれないと思います。あなたの息子、コンラッド」と書かれた手紙が届き,その直後、コンラッドは階上の部屋で謎の爆死をとげる。 事件のショックで床についた教授の元へ、ビアンカとリエッタが訪れる。ビアンカはコンラッドの死を自殺と言い、リエッタは殺されたという。ひとりになった教授は泣き出してしまうが、その時階上から足音が聞こえてきた。 左半身不随の身体ながらヴィスコンティはこの映画で映画界に復帰した。 主人公の老教授の豪邸を舞台に全編セット撮影による室内シーンのみの作品。自らを写すように老教授の孤独・家族願望・若い世代との葛藤、そして敗北のドラマ。 日本でのヴィスコンティブームはこの映画のヒットによるところが多い。 暴漢に襲われた若く美しいバーガーが,ヴィスコンティを思わせるバート・ランカスターの老教授に助けられるシーン、そしてバーガーの「死」を抱き取る老教授。切なくも残酷なまでの美しさ。(しかし、彼はオール・ヌードと死の姿が余りにも多いな。そして似合いすぎる。) 爆死したコンラッド(バーガー)が掴んでいたのは,ステファノが巻いていたマフラーでは!??? 余談: バーガーがシャワーを浴びるシーンは脚本にはなく、撮影当日になって、急に加えられた。大道具は大わらわでバスルームの制作やら、配管、お湯の準備,リハーサルのあといざ本番となったら、バーガーの金髪の染めが落ちてしまい、撮影は翌日に持ち越された。(バーガーはやはり金髪に染めてたのですね。また、バーガーは撮影中、インフルエンザにかかったそうです。) ドミニク・サンダのメーキャップと結髪はヴィスコンティの母親の肖像画が参考にされた。前世紀パリで有名になったアントニオ・アルガーニが描いたものである。ドミニク・サンダの役は当初シャーロット・ランプリングが演じる予定であった。 ヴィスコンティの演技指導: 「ヴィスコンティ組」の古顔であるシルヴァーナ・マンガーノでさえ、本番となるとコチコチになる。神経質なバーガーも同様だ。ヴィスコンティは二人の過度の緊張をやわらげるために、「リハーサル兼本番」という手を使う。ランカスターは手慣れているだけに,演技に手抜きが目立つことがある。そういうとき、ヴィスコンティはカメラに入らない部分でも正確な演技を要求する。感情移入を早くから求めるのだ。だが、バーガーの場合は逆に「心で演技するより頭で演技する」ことを要求した。 |
1998.12.09UP
1999.06.13UP
1999.07.18UP
わが映画、わがレクイエム
ルキノ・ヴィスコンティ
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「家族の肖像」は私の世代の知識人の物語で、主人公は,時代と調和して生きることを知らぬまま,今日の世代と激しく衝突して、その結果、ひん死の余生を迎えるにいたります。 主人公の教授が蒐集している<カンバセーション・ピース>とは、18世紀に英国でさかんに描かれた家族の団欒を描いた一連の肖像画で、貴族や上流家庭の家族達、その子供達や召使いや犬も一緒に描きこまれています。画の中の人々は、あまりにも美しく、気品高く、魅力的でありすぎて,動かぬ画の裏に、思わず、激しい愛憎と淫蕩のドラマを想像せずにおれぬ程です。 この映画そのものも、また、<カンバセーション・ピース>のひとつであり、あるひとつの家族の肖像画です。この映画で私にとって最も美しい場面のひとつは、終盤、5人の主要人物が食卓を囲んで一堂に会する場面です。<カンバセーション・ピース>そのものと化したこの場面で,登場人物達はまいまい最も残酷な真実をあらわに突きつけあい、家族の団欒はそのまま悲劇に突入していく。 年をとった人間が、若者に対して、自分の子供のようなつもりでふれあいをもとうとしたところで、それだけで理解しあえるわけがないし、うまくいくわけもない・・・・・これが私の言いたかったことです。 若い娘リエッタが老教授に問いかけます。 「でも、あなたが若い頃は何をなさってたの?今の私たちと同じ?」 教授は、 「とんでもない。勉強だった。旅行だった。そして結婚だった。結婚には、失敗したが。その時、突然、目がひらけて自分がなにひとつ意味の分からぬ外界にいることがわかったのだ」 と答えます。 実際のところは、教授は孤独の苦しみと自分のまちがいはわかったのです。ところが彼は自分の中に閉じこもった。他人の問題を知ることによって、それが自分の問題となる、そしてついには問題に足下からまきこまれてしまうことを恐れたからなのです。だからこの主人公は、それを避けて、人間そのものより,人間が残す作品に没頭することを選んだわけです。 このセリフを教授が言うのは、教授の人生のエピローグが悲劇そのものだからです。教授には、自分をめぐって起こっている事件がなにひとつわからない。3人の若者の中で最も頽廃した青年コンラッドが、自分を弁明しようとして、ビアンカの夫、右翼実業家のブルモンティがファシスト的な陰謀をたくらんでいたと暴露する場面で,教授には事態がなにひとつわかっていない。ファシズムによる極端な危機が現実的に迫っているとは、教授には思えていないからです。だから教授は、コンラッドにとっての何の助けにもなりえない。そしてコンラッドは,たすけでなくてもよい、が、そのしるしでもほしいのです。信頼とまでいわずとも。しかし、終局、コンラッドがファシストに謀殺されたときですら、教授は謀殺を信じることができぬまま、ひたすら深い哀しみに閉じこもってしまう。 これは一方からみれば、成熟してしまった世代にとっての、もはや夢のありようもない現世からひたすら我が身を守る誘惑と、追憶の世界に逃避したい欲望と、もう、さして充実しようもない知識の旅行カバンの物語であって、また一方、若者の側から見れば、生命力と、不合理と自分たち以前に存在した既成のすべてを不信し拒絶する意志・・・つまり青春とその力の物語であるわけです。 自伝的な作品であるかどうかは問題ではないでしょう。この主人公は人間嫌いで、他者からもたらされる騒ぎを嫌い、まったく沈黙に生きることを望んでいる。エゴイストでマニアックな蒐集家です。人間と、人間が抱えている問題こそ、人間が生む作品などより大事なのに、それを認めることを拒否している点では、罪ある人間です。 私自身はそんなエゴイストではないし多くの若い人々に力をかすことも、ささやかながら、助言や物質的な援助でしつづけてきている。友人にも恵まれているし、他人と一緒にいることが好きな人間です。 私は、バート・ランカスターが演じてくれた教授を通して、私自身の世代の知識人の社会へのかかわり方とその責任、その意志、そしてその敗北という結果・・・つまり、文化、というものの寓意をこの作品で問うてみたかった。教授にあらわされるひとつの階級とひとつの時代・・・私自身のものでもありますが・・・を表現する機会を、私はこの映画に見いだしたのです。自己証明については、それくらいのことです。どんな場合でも他人になにかを話そうとするとき、自分のことから話し始めるのはあたりまえのことですから。ギュスターヴ・フロベールだって、”「ボヴァリー夫人」はわたしだ”と言ったではありませんか。 私の作品で頻繁にあらわれるのは家族の物語であるということ、その自己破壊、そして家族の解体です。(「山猫」「地獄に堕ちた勇者ども」etc)。そうした映画で,物語を語りながら、私はレクイエムをうたうがように映画をつくっています。私の場合、物語は悲劇として語るのが、より正しくより適切であると思っています。私の作品には、もろもろの矛盾から一挙にどうしようもない破局に至る瞬間が必ずあります。その時、主人公達は概して、自分自身の意志的な選択によろうとも,あるいは四囲の状況の結果になろうとも、終局、自分自身と対決することになります。 愛による関係から、あるいは家族的な関係から彼らを救う手がさしのべられようとさしのべられまいと,また、権力や金の力によるそのような救いの手があろうとなかろうと、終局の状況は同じです。かれらはこそくで、そのとき直面する状況をなにひとつ変えられる望みにない程徹底して孤独です。いや大半の場合、そういう望みを持つ希望すらあり得ぬ程に孤独な局面にたたされるのです。 私はよくデカダン(頽廃主義者)といわれます。デカダンの賛否については私は、トーマス・マン同様、積極的な賛同者です。全身デカダンにそまっているといってよい。トーマス・マンはドイツ文化のなかでデカダンであったし、私はイタリア文化の中でデカダンです。私の一貫した関心は、病的社会の検診ですから。 この映画で、外観は、意志的に実景撮影を避けています。実景で撮るにはなんでもない簡単なこと。教授の家のバルコニーから見えるローマの風景,ローマの屋根のつらなりや、ローマの丘陵や遺跡は,私が美術監督のマリオ・ガルブリアにたのんで、実物のコピーを避けること、そしてローマ・バロッコ様式(ファルコニエリ宮殿の正面玄関やパラッツオ・マダーマの装飾)を外観として、バランスや細部にこだわることなく再現してみせようと意図した結果です。その結果、細部はまったく実物なのに全体としてはまがいものという、ほとんど魔術的なイメージが現出したことに満足しています。
ラバン・セーヌ 1975.6月号
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1999.04.03up
| ヴィスコンティ「家族の肖像」を語る |
| 「家族の肖像」は60〜65才の男の物語だ。彼は人と交われなくなり、完全に孤立すべく家族を捨てる。だが別の家族が入り込んで来て彼を圧し潰してしまう。 この作品の主題は”孤独”と、ある家族の危機だが、もちろん私の孤独や家族ではない。私は孤独ではないし、むしろ親類や兄弟とはたいへんに仲が良い。 病気のために私は体を自由に動かせない。仕事をする上でひどく辛い。だが、人生の一瞬一瞬を生きたいのだ。大切なのは働き、思考し、隣人と語り合うこと。仕事のおかげで病魔を克服できた。 『家族の肖像』は私がこれまで作ってきた映画のある究極の形のようなもので、家族の物語・・・その自己破壊と解体が描かれている。そうした作品で私は物語を語りながら、レクイエムをうたうように映画を作ってきたのだ。 |
2000.02.02UP
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