ルートヴィヒ/神々の黄昏

LUDWIG


 


メガ・フィルム、ディーター・ガイスラー・プロドゥクツィオーン、ディフィナフィルム、シネテル:作品
1972年,イタリア/フランス/西ドイツ
製作総指揮: ロバート・ゴードン・エドワーズ
製作:ウーゴ・サンタルチーア
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
脚本:ルキノ・ヴィスコンティ , スーゾ・チェッキ・ダミーコ,エンリコ・メディオーリ
撮影:アルマンド・ナンヌッツィ
音楽:ロベルト・シューマン(子供の情景)、ルヒャルト・ワグナー(ローエングリーン第一幕の前奏曲、トリスタンとイゾルデ・タンホイザー,最後のピアノ曲),ジャック・オッフェンバック
編集:ルッジェーロ・マストロヤンニ
美術:マリオ・キアリ、マリオ・シッシ
衣装:ピエロ・トージ
助監督:アルビーノ・コッコ
上映時間3時間4分(伊語版)
2時間(英語版)
4時間(1980年ベネチアで上映された完全版・伊語)
テクニカラー・パナヴィジョン,英語にて同時録音・伊語版は吹き替え(ルートヴィヒ−ジャン・カルロ・ジャンニーニ)
初公開1972年12月29日・ボン,日本公開1980年11月8日,完全版1989年3月24日
1973年度ダヴィッド・ディ・ドナッテロ賞・作品賞,監督賞(ルキノ・ヴィスコンティ)、制作賞(ウーゴ・サンタルチーア),特別賞(ヘルムート・バーガー,演技に対して)
出演:
ヘルムート・バーガー(ルートヴィヒ)
ロミー・シュナイダー(エリザベート)
トレヴァー・ハワード(ワーグナー)
シルバーナ・マンガーノ(コジマ)
ジョン・モルダー・ブラウン(オットー)
ソニア・ペトローヴァ(ソフィー)
ゲルト・フレーベ(ホフマン神父
ヘルムート・グリーム(デュルクハイム)
イザベラ・テレジンスカ(皇太后)
ウンベルト・オルシーニ(ホルンシュタイン)
フォルカー・ボーネット(カインツ)
ハインツ・モーク(グッデン教授)
マルク・ポレル(ホルニヒ)

19世紀半ば,美と芸術とデカダンスを愛し波乱に満ちた生涯を送り狂死したといわれる、ババリアのルートヴィヒ2世。「バーガー以外にこの役を理解して演じられる者は誰もいないだろう」とヴィスコンティをして言わしめた。バーガーの為だけに作られたような絢爛たる大作であり彼もまたヴィスコンティの寵愛と期待に鬼気迫る演技で応えた。
この映画の最初のタイトルは「すべてオモチャでしかない/All is but toys」だったが撮影中に「ルートヴィヒ」となった。
「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」とともにドイツ三部作となる。
戴冠式での目を見張る美しさと若さ、そして後年醜く変貌してしまったルートヴィヒの鬼気迫る姿、撮影当時28歳のバーガーは18歳〜40歳までの役を見事に演じきっていた。
ヴィスコンティの死後,来日した彼をTVで観たことがあるが,物静かで寡黙で病的なまでの美しい姿だった。

1998.12.09UP


〜ルートヴィヒ〜復元完全版について



ヴィスコンティ「ルートヴィヒ」を語る

「ルートヴィヒ」は魅惑的な人物の肖像画である。作家というものは常に特異な人物を求める。ルートヴィヒの人生を辿ると当時のヨロッパの経済や政治、社会を知る鍵が見えてくる。ドイツ帝国の誕生とビスマルクの権勢。
ルートヴィヒは大いなる敗北者。敗北者や孤独な魂や、現実に押し潰される運命を描くのが私は好きだ。美への憧れと日常生活を両立できなかったのが、ルートヴィヒなのだ。



「ルートヴィヒ」は、かなり前からの企画だ。「地獄に堕ちた勇者ども」より前だった。が、これを撮影できるようになるには多くの要素が必要であった。
最終段階で”延期”になった「失われた時を求めて」や「地獄に堕ちた勇者ども」のロケのためのドイツの旅。この旅で,私はルートヴィヒが生きた数々の場所をたどることができた。「地獄に堕ちた勇者ども」と「ベニスに死す」,そして「ルートヴィヒ」で、近代ドイツを扱った私の三部作が完成することになる。そこではこういった要素がある。新しい社会に座を譲り渡すことを余儀なくされているある社会の急進的変貌、ある上流家庭の崩壊、極端に複雑な人物の常軌をはるかに逸した規模での精神的な変化などだ。
このバイエルンの君主は、マザー・コンプレックスから始まって、さまざまなコンプレックスに苦悩し、しかし、生きること,現実をあやつる力に欠けていたため、自らがくずれ落ちてしまうほどの精神の不安定とフラストレーションを、現実から背負い込んでしまったのだ。母后とは、まさに衝突の関係でしかなく、カトリック教徒であるのに、教皇の不謬性の教理を拒絶し、バイエルンからイエズス会の会士たちを追放することまで決意してしまう。そしてまさにこのとき、母后はカトリックに改宗するのである。その上、ルートヴィヒは,ロレンツォ・ディ・メディチのようなルネッサンス期の君主でありたいと切望していた。が、彼は、自分の生きている世界が、イタリアのルネッサンス期とは全く異なることには気づかなかったのである。
ルートヴィヒは、共感をそそられる人物である。それはまさに、彼が敗北者であり、現実の犠牲者であり、彼の宮廷で次々と起こる出来事に対し無防備であったからである。
ルートヴィヒの生涯を追いながら、当時のヨーロッパの、経済的、政治的、そして社会状況に関連した重要な要素が明らかになってゆく。それらは、1866年と1870年の戦争、国家としては消失してゆくバイエルン、ドイツ帝国とビスマルクの勢力の誕生、などである。
ルートヴィヒは大いなる敗北者である。私は敗北を語り、孤独な魂、現実に押しつぶされた運命を描くことが好きだ。私は、その個人に自分が精通している人物を描く。おそらく、私の映画の登場人物の一人一人が、もう一人の人物を隠しているのだろう。それは、まだ映画化されていない真の私の映画で、つまり昨日、そして今日のヴィスコンティについての映画だ、ということである。
Costsnzo Costantini"Lutino Visconti","La stampa" 1972.2.21号  "Il mondo"1976.1.8号より



私は絶えず際立った人物に惹かれてきた。そして,私は常にドイツの歴史と文化に特別な関心を抱き続けてきた。従って、ワーグナーの賛美者,ビスマルクの支持者になり、最後には臣下に侮られ、全く孤独で、精神異常を宣告された若く強靱で途方もなく美しいばかりの王,バイエルンのルートヴィヒ二世を私が選んだのは、全く必然的なことだった。私の考えでは、ヘルムート・バーガー以上にこの役を理解して演じられる者はいないだろう。



この映画も私のドイツ文学と文化への関心から生まれている。最近のミュンヘンでの記者会見で,わたしはジャーナリストたちに我々ミラノ人は少しばかりバヴァリア的であるということを話した。我々は地中海的であるよりも中央ヨーロッパ的なものである。だが、ある紋章学者が私に、過去の世紀においては,私の一族であるヴィスコンティ・ディ・モドロノネ家は,ルートヴィヒの属するヴッテルスバッハ家と縁続きであるということを教えてくれたので、軽いショックを覚えてものである。
この映画で描いたのは、バヴァリアのルイ二世の親類であるシシー王女が,従兄弟のルートヴィヒと恋におちいる話だ。この二人の関係は非常に複雑であった。単に従兄弟同士の恋物語というのではなく、これはさまざまの観点から、姉弟の愛情のようなものも見出されるからである。
シシーを演じたロミー・シュナイダーは,自分を素直なに出すときは,とてもいい女優である。彼女が女優として自己に目覚めたのは「ボッカチオ’70」に始まるが、それいらい彼女は肉体的にも精神的にも非常に魅力的な女性になった。扱いやすい女性ではないが,私は彼女が好きで,まるで自分の娘のように思っている。一方,ルートヴィヒのヘルムート・バーガーにとって、この役は大人になる試練のようなものだった。「地獄に堕ちた勇者ども」ではまだ未成年の域だったが、ここで彼は全く成熟したのである。
「ルートヴィヒ」で私が多額の金を使ったと言われる。だがフェリーニだって高い映画を撮っている。ゼフィレッリやアントニオーニだってそうだ。私は、「ベリッシマ」「白夜」のように金のかからぬ映画も撮っているではないか。「ベニスに死す」のような映画だって984万フランしかかかっていない。ゼフィレッリだって再金策「ブラザー・サン シスター・ムーン」では3280万フランも使っている。私は金のかかる監督だというのか。じゃあそれがどうしたんだ?私はイタリア映画の浮気女なのか。だが誰も私に宝石も毛皮も車もくれやしない。もし私が高く着くならそれでいい。
私を欲しい人は私の値段で買えばいい。そうでなければドイツの大家族の話、誇大妄想の王様の話を扱い、デパートで古い家具を買い集めなければ撮れないこういう映画を、どんな風にして撮ったらいいのか教えてもらおうじゃないか。


ヘルムート・バーガー「ルートヴィヒ」を語る


『ルードウィヒ』はすべて私の肩にかかっていた。あれは私の映画です。私はそのことがわかっていました。私は自分にこう言ったのです。“もし、私が何か誤りをしたら,それは私のせいだ”と。準備期間は衣装合わせも含めて2ヶ月に渡りました。本もたくさん読みました。が,私はオーストリア人なので学校で習うようなことばかりで、オーストリア人なら知りすぎているくらいです。撮影は6ヶ月で、’72年の1月から6月までです。クランク・インは,ザルツブルグ近くのバート・イシュルで、曲馬場のシーンでした。偶然、そこは私の生まれたところだったのです。撮影は、年代順を考慮して進められました。戴冠式のシーンは、スタジオで撮られました。チネチッタです。というのは、戴冠式が行われた王の邸宅は、もうなくなっていたからです。
最後に我々全員は疲れ切ってしまい、撮影は非常に困難になりました。例えばロミーがやってきて、私に自分の妹と結婚してくれと頼むシーンなどです。
ヴィスコンティは,4時間版を公開したかったようですが、編集の途中で病気になってしまい、制作者側がカットしたのです。最初に18時間に編集され、次に6時間,そして4時間、3時間、そして最後に2時間にされました。4時間版が妥当だったのですが,最近公開されたバージョンにはヴィスコンティが求めた雪の静けさ、オーストリアの静けさの代わりに、音楽が加えられています。私が指摘できるのはほんのささいな部分ですが・・・、リズムに、音楽に感じます。私の(主人公の)外見的な変化は、メイクで表しました。それと無意識のうちの変化もあります。撮影の間に、私はだんだんと年老いて、狂気にとらわれてゆくのです。私の狂気の進行を追って撮影していったからです。ある時、ヴィスコンティがとうとう撮れなくなりました。私の狂気が進みすぎ,2シーン先の場面を演じてしまったのです。そこでストップと私に言いました。私が先のセリフのことを考えていたからです。私は自分を馬のように抑え,ただ服従するしかありませんでした。

(Bruno Villien “Visconti”,1987.より)

1999.04.03UP
1999.09.12UP
2000.02.02UP




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