Biography of
Helmut Berger





ヴィスコンティとバーガー




1944年5月29日、オーストリアのザルツブルクでホテル業の家に生まれる。
父親が3年間ソ連軍の捕虜になり、バーガー3歳の時に帰国。厳しい父親で,すぐ暴力をふるうためバーガーは初めから馴染めず,逆に母親は彼を溺愛していた。
一人っ子の彼をホテル業に継がせようとしたが,幼い頃から化粧や女の衣装を身につけるのが好きで演劇に興味を持っていた彼は反発し、学校は転校の連続だった。
スイス国境近くのホテル専門学校に送り込まれた彼は卒業後,家業を手伝わされるが父親との衝突ばかりで一年もしないうちにロンドンへ出奔。18歳の彼はグルメレストランでウエイターをしながら,俳優学校に通い小劇場などに参加する。将来国際的俳優を目指す彼は、イタリアのペルージャ大学でイタリア語を学び更にローマで演技勉強をし,英語やフランス語を学んでいく。




1964年、バーガー21歳の時に,イタリアのトスカーナ地方で『熊座の淡き星影』を撮影中のヴィスコンティに出逢い,彼の人生に大きな影響を及ぼすことになる。

夕暮れになり,寒さに震えつつも最後までロケ現場を見ていたバーガーに,ヴィスコンティからと言って,助監督がカシミアのマフラーを肩にかけに来た。
翌日の昼食に招待され,ついに2,3ヶ月後ローマのヴィスコンティ邸で二人の関係が始まる。



『華やかな魔女たち』の端役から『地獄に堕ちた勇者ども』での準主役、そして主役をつとめた『ルートヴィヒ』,貴重な役どころの『家族の肖像』と起用され、“ヴィスコンティの寵愛を一身に受けた男”と評された。まさしく彼はヴィスコンティにより「魔性」「倒錯」「狂気」を余すところなく引き出された。



1972年7月24日,最初の血栓症の発作でヴィスコンティが倒れた時、バーガーは『レ・ヴォラス』の撮影のためパリにおり、不帰の人となった1976年3月17日は,ヴィスコンティのすすめでリオへ休暇に行く飛行機の中だった。
バーガーの生活は荒廃し,クスリとアルコールの日々が続いた。1977年3月17日、ヴィスコンティの死から丁度一年後,彼は睡眠薬自殺を計るが幸いにも一命をとりとめた。



長い間酒とクスリの日々を送ったのち,精神的にも回復を果たした彼は、また俳優としてスクリーンやTVに復活した。
1998年8月には自伝 「ich」 を出版し,一大センセーションを巻き起こした。

「ヴィスコンティは,カメラの前で震えている神経質な自分から100%以上の素質を引き出してくれた恩人であり,大きな保護者であり、芸術上の恩師であり、愛する人であった。」

実生活でバーガーは,1994年にイタリアの女優 Francesca Guidato との結婚生活をスタートさせたが、1998年に破たんしている。彼はこの結婚は存在しなかったものとしてとらえている。
そして12年間に及ぶヴィスコンティとの関係をバーガーは,結婚していたと意識し、32歳で”未亡人”となってしまったと悲しむ。
バーガーはヴィスコンティと一緒に送った日々、そして”未亡人”になってからの日々と,自らの人生を二つに分けて考えている。



ヴィスコンティ芸術の中で3本の作品に出演した彼の,倒錯的なイメージから脱出できないまま,その後ありとあらゆるジャンルの演技を試みるが,彼はその3本の映画の中で燃え尽きてしまったようにも思える。ヴィスコンティの為だけに存在した演技者バーガー。
彼の二つ目の人生がどのようなものなのか。残念だが彼のその後の作品は日本では殆ど公開されていない。



ヘルムート・バーガーに関するさまざまなエピソードなどを紹介します。


Berger memo
■生年月日
1944年5月29日
■出生地
オーストリア、ザルツブルグ
■家族
両親(父親は1994年逝去)
■結婚
1994年〜1998年, Francesca Guidato と。「Act of Revenge/スコルピオ・キス」(1990年)で共演したイタリアの女優。
■本名
ヘルムート・シュタインバーガー(HELMUT STEINBERGER)
■身長
184センチ
■体重
75キロ
■髪
ブロンド
■瞳
ブルー・グリーン
■学歴
フェルトキルヒ高校(オーストリア),ペルージャ大学(イタリア)
■演技学校
ローマ映画実験センター
■映画デビュー作
エキストラ出演の後 『華やかな魔女たち』(’66年)
■主演映画デビュー作
『ヤング・タイガー』(’68年)
■個人受賞映画作品
『悲しみの青春』(’71年)・・・’71年度AAPA(全米映画記者協会)主演男優賞,『ルードウィヒ』(’72)・・・’73年度ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞特別賞(演技に対して)
■性格
表面上はおとなしい感じがするが、比較的陽気。神経質。
■尊敬する監督
ルキノ・ヴィスコンティ
■好きな監督★
マイケル・サーン、セルジオ・ゴッビ、クロード・シャブリ
■組んでみたい監督★
ロマン・ポランスキー、ミケランジェロ・アントニオーニ、スターリン・キューブリック、エリック・ロメール
■友人
ハイラム・ケラー(『サテリコン』(フェリーニ)の主演俳優)★,ロミーシュナイダー、ホルデーホイヤー(ジャーナリスト・「Ich」の共著者)
■趣味★
旅行,動物を飼うこと(特に象が好み),子供たちと遊ぶこと,絵画コレクション
■得意なこと
料理(オーストリア料理・イタリア料理)
■自宅
ローマ市内の3ルームの某アパート→オーストリア・ザルツブルグ(現在)
■行きたい国★
インド
■スキャンダル★
女優:マリサ・ベレンソン、ヴィルナ・リージ、マリア・ジョルダーナ、アーシュラ・アンドレス、ロミー・シュナイダー、パティ・ダーバンヴィル、ドミニク・サンダ、フランソワーズ・ファビアン、フロランス・ラフュマ、テレサ・アン・サヴォイ、アラナ・コリンズ。 その他:イリーナ・ダーヴェン(新鋭作家),パトリッィア・パル(OL),スージー・タイスン。
(★は1983年資料)


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バーガーは語る
■1966年 『華やかな魔女たち』に出演して。
「初めての大スターとの共演で興奮した。何よりもシルバーナ・マンガーノ,アニー・ジラルドのそばに一緒にいることがエキサイティングだとするなら、ルキノ・ヴィスコンティに出会い、彼に演技をつけてもらうことなど私にとって最高に感動的な出来事だった。」
■後に彼はヴィスコンティのことをこう語る。
「彼は君主のような人柄の、傑出した人物です。そして彼は20世紀にいきるルネッサンス人で,今まで会ったこともない大変な教養人です。彼は手とり足取り何もかも教えてくれましたが,そのことで大変感謝しています。」
■ヴィスコンティの寵愛を受け行く先々で彼は姿を見せる。が,何故か次第に辛辣になるバーガーはニューヨークのレストランでヴィスコンティの悪口を言い始め,聞こえないふりをするヴィスコンティに
「彼は耳が聞こえなくなったんだ。」と、耄碌呼ばわりしとうとうヴィスコンティは怒りを爆発させた。
■『地獄に堕ちた勇者ども』の後、ナチス将校役の出演依頼がいくつも届いたが。
「すぐにでも他の作品に出て違うキャラクターを演じたい。」
■バーガーの個性に頼った作品、『ドリアン・グレイ』『雨のエトランゼ』に出演後。
「今まで、いくつものナチス将校を断ってきたが、私はタイプ・キャスト(俳優のタイプに合わせた役柄)が嫌いだ。例えばホモセクシャラスを演じることについて言えば、何が問題なのか分からない。殺人犯を演じたからって演技者は殺人犯ではないのだ。それにリチャード・バートンとレックス・ハリスンが年輩のゲイのカップルを演じたからって2人をホモセクシャルだと言って非難する人はいないと思う。」
■病弱な役『悲しみの青春』,ミステリー・アクション『血の羽根をつけた蝶』に出演の後。
「私は今まで悪役的な役柄が多かったが,明るいものも演じてみたい。たとえば“ジョアンナ”や“マイラ”のマイケル・サーンの作品なんかがいいね。」
■『ルードウィヒ』について語る。
「『ルードウィヒ』はすべて私の肩にかかっていた。あれは私の映画です。私はそのことがわかっていました。私は自分にこう言ったのです。“もし、私が何か誤りをしたら,それは私のせいだ”と。準備期間は衣装合わせも含めて2ヶ月に渡りました。本もたくさん読みました。が。私はオーストリア人なので学校で習うようなことばかりで、オーストリア人なら知りすぎているくらいです。撮影は6ヶ月で、’72年の1月から6月までです。クランク・インは,ザルツブルグ近くのバート・イシュル出、曲馬場のシーンでした。偶然、そこは私の生まれたところだったのです。撮影は、年代順を考慮して進められました。戴冠式のシーンは、スタジオで撮られました。チネチッタです。というのは、戴冠式が行われた王の邸宅は、もうなくなっていたからです。最後に我々全員は疲れ切ってしまい、撮影は非常に困難になりました。例えばロミーがやってきて、私に自分の妹と結婚してくれと頼むシーンなどです。ヴィスコンティは,4時間版を公開したかったようですが、編集の途中で病気になってしまい、制作者側がカットしたのです。最初に18時間に編集され、次に6時間,そして4時間、3 時間、そして最後に2時間にされました。4時間版が妥当だったのですが,最近公開されたバージョンにはヴィスコンティが求めた雪の静けさ、オーストリアの静けさの代わりに、音楽が加えられています。私が指摘できるのはほんのささいな部分ですが・・・、リズムに、音楽に感じます。私の(主人公の)外見的な変化は、メイクで表しました。それと無意識のうちの変化もあります。撮影の間に、私はだんだんと年老いて、狂気にとらわれてゆくのです。私の狂気の進行を追って撮影していったからです。ある時、ヴィスコンティがとうとう撮れなくなりました。私の狂気が進みすぎ,2シーン先の場面を演じてしまったのです。そこでストップと私に言いました。私が先のセリフのことを考えていたからです。私は自分を馬のように抑え,ただ服従するしかありませんでした。」
(Bruno Villien “Visconti”,1987.より)
■『レ・ヴォラス』に出演して。
「『レ・ヴォラス』で私が演じる胴元は、とても私に身近な役です。演ずる上での唯一の努力といえば、演ずる人物の仕事の細々としたテクニックを覚えるだけです。今度の場合は『ルードヴィヒ』の時のように組み立て、他者になり、演じるというのが問題でなく、ただ人物の靴に自分をはめ,顔の表情を制御するだけでいいのです。」
■『レ・ヴォラス』撮影中のインタビューで。
「ヴィスコンティと出会ったことは幸運だった。だけど、たくさんの人が彼に出会っても必ずしも成功しなかった。思うに今日の幸運は、自分の役を選ぶことができたことだ。役が自分に合わなければ、断るまでだ。たとえ、それが大監督との仕事であっても同じことだ。もう道を誤ることはできない。それとは反対に、ゲーテの『ファウスト』とかクライストの『公子ホンブルグ』とかいうように,演りたい役もたくさんあるし、一緒に映画を撮りたい監督もたくさんいるんだ。たとえば、ポランスキーとか、アントニオーニ、キューブリック、エリック・ロメール、ルイ・マルとかと。」
■ヴィスコンティ死後,1977年3月17日に自殺をはかりアルコール漬けの最悪の精神状態のころ,映画界とは関係ない女性パトリツィア・パルに出会い献身的に彼を支えた。
「パトリツィアは私のすべての生活をかえてくれた。」


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バーガーへの言葉とエピソード
■『ルードウィヒ』についてヴィスコンティは。
「ヘルムート・バーガー以上にこの役を理解して演じられる者は誰もいないだろう。
■生前、バーガーに宛てた手紙の中でヴィスコンティは。
「慎重に振る舞い、よく働くように願っている。なぜなら仕事は、人に威厳と力を与えるからだ。俳優の仕事は真面目なものだ。人生は規律を持って立ち向かわれるべきだし、楽しむべきだ。それが、まだ可能で若く健康なうちは。」
■ヴィスコンティはバーガーについて次のように語っている。
「あのヘルムート・バーガーはもとは別にどうってことのない奴だったのだよ。でも、私はちゃんと個性をつかんでしまった。私が誰(俳優)かを有名にしてやり、彼らがそれにこたえられるって事は,彼らが何かを持っているってことだ。」
■『愛と哀しみのエリザベス』の監督ジョセフ・ロージーは。
「映画のタイトルの頭の<ロマンチック>(原題:ロマンチックなイギリス女性)とはいろいろな意味にとられようが、私の持ってるロマンチックという意味は、ある種の皮肉さがあるのだ。主演のグレンダ・ジャクソンの素晴らしい演技、それにもましてヘルムート・バーガーのおさえた演技は私をビックリさせたものだ。」
■『ルードウィヒ』で共演したロミー・シュナイダーとの関係。
「ロミーはバーガーを“バーガー嬢”と呼んでからかった。バーガーはヴィスコンティの愛人だった。撮影中、彼はヴィスコンティが寝てしまってからディスコに出かけるのが習わしだった。それほどヴィスコンティの嫉妬が恐かったのである。ロミーとバーガは、その激しすぎる生き方において相通ずるものがあった。お互いに相手の危機についてよく理解していた。その後何年もたってからのこと,またもや破滅する恐怖に襲われたバーガーは、ロミーのところへ逃げてきた。母親のように慰めてやれる唯一の存在だったロミーは、彼を落ち着かせるために時々隣に寝かせた。バーガーがなにも求めないのはわかっていた。オーストリアのバート・イシュルで『ルードウィヒ』の撮影中は、まだこの関係は逆だった。ボロボロの結婚生活の訴えを聞いてやったのはバーガだった。それだけでなく、こんなに嘘のうまい女優はいないといって,ホテルのロビーで見つけた木彫りの像をおごそかに手渡してロミーを元気づけた。そして、夜、ホテルのベッドの脇に座って、アルコールとクスリの力で彼女が鉛のような眠りのなかに落ちていくまでずっとそばにつきそったのもバーガーだった。
(ミヒャエル・ユルクス著“ロミー・シュナイダー事件”より)


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■ Helmut Berger - Ich
Helmut Berger - Ich
Die Autobiographie
1998. Ullstein Verlag 320頁 44.00DM
Holde Heuer 共著
待ちに待った彼の自伝が出版された。
破天荒な生活として,出版される前からセンセーショナルな話題を呼んだ。
生い立ちから俳優としてたどった道のり、数多くの映画スターとの共演、そしてあのルキノ・ヴィスコンティとの出会い。
「私はヴィスコンティの未亡人」と自ら語り、54歳となった彼が波瀾に富んだ生涯をクールにそして余すことなく描いている。
日本ではまだ出版されていません。
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Ich日本語抄訳


ヘルムート・バーガー『私(Ich)』破天荒な生活
メディアサービス宣伝文(98/10)より

甘い生活について
ベルリン−モルゲンポスト紙のインタビュー記事(98.8/24)より

ヘルムート・バーガーの略歴紹介
ディ・ターゲスツァイトゥング紙(98.9/19)より



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