ヘルムート・バーガー(本名 Helmut Steinberger),1944年にザルツブルグに生まれる。
両親はホテルとバーを経営。父親は3年間ソ連軍の捕虜になり,ヘルムートが3歳を過ぎてから帰国。初めから馴染めず、また厳しい父親ですぐ暴力を振るうので、息子のヘルムートは大嫌いであった。母親は息子を溺愛した。
学校では怠け者で,次々と転校する。最後は手を焼いた父親がスイスにあるヨーロッパ中の出来の悪い子弟のために作られた授業料の高いホテル専門学校に送り込み、なんとか卒業させてもらう。
卒業後、親のホテルを手伝わさせられるが、父親と衝突ばかりして一年もたたないうちに家出する。
将来俳優になるのが望みで(子供の頃から化粧したり,女の衣装を身に付けるのが好きだった。父親はその性根を叩き直そうとしたわけだが,結局失敗する),ロンドンに行き英語と俳優学校に通う。更にロンドンの有名人が食べに来るグルメ・レストランでウェイターをして,有名な写真家ベイリなどと付き合うようになる。
当時,つまり60年代のスインギングシックスティーをパーティーとマリファナで明け暮れる。
1964年になってイタリア語を勉強するためにペルージャに移る。
ある日、ヴィスコンティが『熊座の淡き星影・・・』で野外ロケをしている現場を通りかかり,彼の将来の夢を重ね合わせながらロケ現場を去らずに最後まで見ていると、夕暮れになり寒くなって震えているヘルムートに監督からと言って、助監督がカシミヤのマフラーを肩にかけに来た。次の日、昼食に招待され、という具合に次々とヴィスコンティから声がかかる。
2、3ヶ月してヘルムートもヴィスコンティへの愛に応える気持ちになり,初めてローマのヴィスコンティの家で結ばれる。ヘルムートは初めから男との関係には抵抗がなかったようで,それまでホテル学校寄宿舎時代にも多少は経験があり,美しい男には惹かれるといっている。
ヴィスコンティとの愛の模様も赤裸々に描かれている。また、美女にも目がなかったので,時々嫉妬深いヴィスコンティとの間で相当激しい痴話騒ぎがあったようだ。
ヴィスコンティは中年になってから美しい若い男への愛を自覚し,実行したようである。但し、他人の前や使用人の前では決して愛のしぐさを見せることはなかった。
またヘルムートはかなり神経質で,カメラの前ではふるえが止まらず、その彼から完全主義者であったヴィスコンティは100パーセント以上の素質を引き出してくれたと述べている。
ヘルムートにとっては『地獄に堕ちた勇者ども』によって彼を世界のスターダムに引き上げてくれた大恩人であり、愛人であり、保護者であり、映画やその他芸術上の恩師でもあるヴィスコンティと12年間結婚していたと意識している。
32歳で未亡人になってしまったと嘆き、自分の人生をヴィスコンティとの一緒の時期、未亡人になってからの人生というふうに分けて考えている。
彼の美女遍歴や、ヨーロッパの有名人たち(ペルシャのシャー、リズ・テイラー、リチャード・バートン、オナシス、モナコのグレース王妃,BB,ミック・ジャガー、ビアンカ・ジャガー、アンディ・ウォーホール、マリア・カラス)との麻薬パーティーも1960年代後半から1970年代前半に占められていた。
『ルートヴィヒ』で相手役を務めたロミー・シュナイダーとは,親友・姉弟に近い存在になりよくつきあったようだ。ヴィスコンティ死後には,彼に毎日のように電話をしたり慰めてくれた。
大嫌いだったのはアラン・ドロンで,ヘルムートはヴィスコンティに彼にはどんな役も与えないようきっぱりと頼んでいる。
「『若者のすべて』と『山猫」』だけであんな下司野郎には充分だ!」
と言い切っている。ロミーをないがしろにした分も含めて、毛嫌いしていたようである。一度などはヴィスコンティの邸宅にドロンが訪ねてきたときに、
「どちらさまですか。お約束のない方にはお会いしません」
と玄関のドアをバタンと閉めてしまい,溜飲を下げている。
『ダンツィヒの薔薇』で共演したフランコ・ネロも大嫌いだったという。
またヘルムートは料理が得意で,彼のオーストリア料理とイタリア料理はリズ・テイラーなどからもとても気に入られていた。
麻薬はマリファナから始まり、LSD,阿片、コカインなどあらゆるものをやってみたが、中毒にはならなかったと本人は誇りにしている。
ヴィスコンティは一日に80本もの両切りを吸うほどのニコチン中毒で、脳血栓で倒れ、一度は復帰するが2年後に不帰の人となる。二回ともヘルムートはそばにいなかった。最初の時はパリで『レ・ヴォラス』の撮影があり、最後の時はヴィスコンティのすすめでリオへバカンスに行く飛行機の中だった。
ヴィスコンティが亡くなった一年後の1977年3月17日に睡眠薬自殺を図っている。
精神的な立ち直りの後、80年代と90年代はいくつかの作品に準主役で出演するが、特に成功したとは言えないという。アメリカのTVシリーズ『ダイナスティ』に出演したことは意外と重要な選択だったようだ。
その間、ドイツではほとんど映画を撮っていない。ヴィスコンティの死後,すぐにファスビンダーが何度か交渉したが,一度の出会いで1時間も待たされ,クスリとアルコールでくずれたファスビンダーを見てバーガーはもう2度と会おうとはしなかった。
(注・後の『マリア・ブラウンの結婚』と『リリー・マルレーン』)
ヴィスコンティとの出会い,その関係、仕事を軸に,ヘルムートの交友録、パーティー・美女遍歴と、口述筆記に近い形で語られている。
ヘルムート・バーガー『私(Ich)』
自伝・320ページ・写真多数
共著:ホールデン・ホイヤー
ウルシュタイン書店
1998年8月1刷り
1998年9月2刷り
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