抄訳
ヘルムート・バーガー自伝『私』


part12 - part14

わが生涯の悲劇……32歳にして未亡人


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Ich-part12

「1年後の1977年3月17日、私はルキノの後を追うことにした。彼が行った新たな世界で彼に再会したいと希望し、また出来ると信じていた。彼のいないこの地上に、いったい何があるというのか。
 準備は完璧、怠りなかった。薬を慎重に入手していった。友人たちやメードのマリアがしょっちゅう見張っているので、慎重にやらざるをえないのだ。必要なだけの薬が揃うと、私は爽やかな気分でそれを嚥み込んだ。ところが、である。午後から出勤のはずのマリアが、その日にかぎって、朝から来てしまったのである。それで、見つかってしまった。それが良かったのか、悪かったのか。20年経った今でも、それが良かったのか悪かったのか、私には判らない。言い訳の繰り返し!これでで良かったのだ、いや、そうじゃない、と私の気持はヨーヨーのように揺れつづけているのだ。
 次の日、私は病院で目を覚ました。4、5日入院しているようにと言われたが、私は飛び起きて病院を出た。目が覚めたとき、私は落ち込んだ気分から解放されていた。ここに私がいる。暑さも寒さも感じる自分がいる。思いを遂げられなかったのなら、新しい人生に挑戦しようじゃないか」
 バーガーによれば、薬の飲み過ぎだったのだそうだ。12錠で充分なのに、彼は18錠も嚥んだ。それで、意識を失ったあと、自然に吐き出してしまったのだ。
 アーシュラ・アンドレスやマリサ・メルなんかが面倒を見てくれて、ロミー・シュナイダーもたびたび電話をかけてくれた。バーガーはマリサ・メルのことを、こんなふうに語っている。二人は良い友達になったけれど、ひとつだけ気に入らないことがあった。それは、他の女優たちはそれなりにレディになりつつあるのに、彼女はいまだにセックス・アイドルにこだわっていることだ、と。
 次はヴィスコンティの遺言の話。
「ヴィスコンティの遺言はどうなっていたのかと、よく尋ねられる。彼の遺族の話では、最後の遺言は無いということだったが、執事は、あれは遺族が隠したのだと教えてくれた。しかし私としては、彼が亡き今、そんなことでスキャンダルを蒸し返したくはない。
 ただ、カステルガンドルフォのサマーハウスを失ったことだけは、ときどき残念に思うことがある。あれはヴィスコンティから私への贈り物だったはずなのだが。でも、まあいいさ。“人生なんて、そんなもんよ”というロミー・シュナイダーの声が聞えてきそうだ。結構、結構!
 もっと大きく考えよう。ほどほどに、なんて考え方には私は興味ないのだ。大きな役を演じてやろうではないか、と私は思った」
 そして、彼はそれを実行に移した。『レ・ヴォラス』(セルジオ・ゴッジ監督)、『勝利』(アントニオ・リバス監督)、リズ・テイラー、リチャード・ドレフュス、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、リンダ・ブレア等と共演したアメリカ映画『エンテベの勝利』で。
「リンダ・ブレアとは、激しくせっかちな情事を持った。ハリウッドのシャトウ・マルモンで関係したのだが、そのときは彼女の兄ともセックスした。彼の方が私を誘惑したのだ。兄妹ドンブリだ。神様の罰が当りませんように」
 バーガーはさらに『大いなる攻撃』、『ダンツィヒの薔薇』(フランコ・ネロ共演)にも出演した。バーガーの人生には、とかく嫉妬がつきもので、フランコ・ネロも嫉妬深い男だった。二人は撮影中に何度も喧嘩した。
「嫉妬というのは信仰に似ているところがあって、自分を信じている人には嫉妬心がないものだが、どういうわけか私は、嫉妬深い人たちばかりの中で生きてきた。それは小学生のときから私に付いてまわっていた。私は非常に集中力のある生徒だったので、あまり勉強をする必要がなかったのだが、俳優になってからも、それは同じだった。台本はたちまち覚えてしまう。すると、他の俳優たちが嫉妬するのだ。私はいつも活動的で、知的で、スポーツマンで、モダンで、そして自分の興味あることだけに専念している。嫉妬は暴力を産み、戦争の元となり、民族離散の元となるものなのだ。そうでしょう?」
 ハリウッドでも嫉妬はついて回った。バーガーが『ダイナスティ』に出演しているとき、『ダラス』に出演している俳優や友人たちとは、言葉を交わすことさえ、はばかられた。その二つのテレビ番組がライバル関係にあったからである。
「ヴィスコンティが亡くなってから、私のもとには何百通という手紙が来たが、ローマから来た手紙は3通きりだった(フローラ・マストロヤンニ、ヴィルナ・リージ、彼のマネージャーのキャロル・レヴィーからの3通)。では、他の友人たちやアーチストたちはどうなってしまったのか。何かあったのか。
 ヴィスコンティのスタイルは時代遅れさ、という声が急に広がり始めた。“ヴィスコンティアン”という言葉は否定的な響きをもって語られるようになった。ヴィスコンティ?あれは古典だろ。しかし、これは同時代人の嫉妬だと私は信じて疑わない。ヴィスコンティが亡くなってから、他の監督の映画作品なんて、みんなクソだ、と言える人がいなくなてしまったのだ。
 それから何年も、私は呆然と暮していた。他の監督たちにとって、私は“ヴィスコンティアン”の俳優にすぎなかった。ヴィスコンティ亡き今、私は人間としても俳優としても半人前でしかなかった。彼が私を鍛えてくれたのだ。美についても、映画の趣味、スタイル、デザインについても、みんな彼が教え込んでくれたのだ。
 こういった何もかもが、私の自殺未遂の原因だった。私はいまだに、他の俳優たちのファースト・フード風映画にはなじめない。私は映画に質を求める。贅沢だろうか。私が専用のメークアップ・アーティストのアルベルト・デルロッシや、専用の秘書が欲しいというと、プロデューサーはイヤな顔をする。彼らは品格とかスタイルというものを毛嫌いするのだ。しかし、私はアーチストたちの創造力を信じる。負けてたまるか」



Ich-part13

 1978年、バーガーは『第5の戒律』に出演した。最後は警官に射殺されるギャングの兄弟の映画である。撮影はドイツで行われたが、
「エッセンの町の週末は退屈きわまりないものだった。私は感傷的になり、気分は不安定、躁と鬱を行ったり来たりである。景気付けに、私は世界中の知り合いに電話をかけまくった。生きているという実感を感じたかったのだ。判るでしょう? 一人も顔見知りがいない代りに、ウの目タカの目の芸能記者だけがウロウロしているホテルに帰ってくることが、どんなにゾッとするものか」
 ミュンヘンで彼は、この自伝の協力者であるホルデ・ホイヤーを紹介され、彼女はヒルトン・ホテルに宿泊する彼の保証人になってくれた。何かやらかしても追い出されないようにという配慮である。
「彼女のおかげで、私はミュンヘンのいかがわしいクスリ社会に関わらなくて済んだのだ。彼女は私に、ライナー・ウェルナー・ファスビンダーの取り巻き連中との付き合いを切るようにと忠告してくれた。ホルデは、私のヘソ曲りな性格や感情、考え方を理解してくれる人の一人だった」
 ドイツの雑誌『ブンテ』が『絹とサテンの男』というタイトルでバーガーに関する連載記事を載せた。このドイツ滞在中に、彼はマリア・シェル、クルト・ユルゲンスや監督のウェルナー・ヘルツォーグなんかと会食した。大層金のかかる滞在だった。
「ファスビンダーとの仕事の企画は実現しなかった。彼が一緒に仕事しようというので、私はカフェで座って待っていたのだが、彼は1時間も遅れて、私が出ようとしていたときに、友達とやってきたのだ。コカインでふらふらだった。そんな状態のあなたとは話が出来ないと言って、その場を去った。ファスビンダーはその後も2回、企画を持ち込んできた」
 しかしバーガーは、ファスビンダーが台本なしで直観で演出するのが好きでなかったし、それに、革のファッションに身を包んで、何日もヒゲを剃らない彼の容姿も気に入らなかった。ただし「彼の作品や、監督としての成功は評価している」とバーガーは述べている。
 次に、俳優という商売につきものの諸問題についても触れている。約束どおりのギャラが支払われないので争うことが何度もあったのだ。だから今では、たいがいの俳優がお抱えの弁護士やマネージャーを持っている。
 次の仕事は『ファントマ』だった(1980年)。共演のクロード・シャブロールはバーガーと仕事することを喜んで、こう言っている。「みんなはバーガーのスキャンダルの話しかしないけれど、彼がスタジオのセットに朝一番に現れ、台本も常に完全に入っていたということは、誰もが認めるところである。彼のせいで撮り直しになったことは一度としてなかった」と。
 4部作の『ファントマ』はバーガーの最初のテレビ出演作品である。そのあと、『私の妻は魔女』(1980年、監督はカステラーノとピポロ)、ドイツ映画 『Die Jaer』(1982年、カロリー・マック監督)が続く。
 バーガーは『ダイナスティ/デンバー一族』(1983〜84)に出演したときのことを色々語っている。プロデューサーのアーロン・スペリングは彼にヨーロッパのプレイボーイの役をやらせた。妻の金だけが目当てで、コカインに溺れている男の役である。
 バーガーはハリウッドで仕事をするのが好きになれなかった。一週間ごとに制作チームが変るし、シーンごとに責任ディレクターが別々にいて、まるで工場だ、と感想を述べている。そこは、ヴィスコンティとの仕事に慣れた、そしてヨーロッパの高い水準に慣れた俳優にとっては、居心地のいい場所ではなかったのだ。
 ハリウッドにいる8カ月のあいだ、バーガーはアパートを借りて、付添いの女と住んでいたが、その女はすぐに首にした。ヨーロッパに、バーガーの払いで、国際電話をかけまくっていたからだ。
 彼の共演者たち、リンダ・エヴァンス、ジョン・コリンズ、パメラ・シュー・マーチン、そしてジョン・フォーサイトといった面々は、初めのうちは友好的だった。プロデューサーのスペリングの秘書たちもそうだった。だが、それは口先だけのものであることを、バーガーはすぐに見抜いた。前にも述べたように、バーガーはアメリカを、そしてアメリカ人を、決して好きになれなかったのだ。
「最初の4週間、私はベストを尽した。コカインともアルコールとも無縁だった。台本は朝渡され、覚える時間が少ないから、頭をスッキリさせておかなければならなかったのだ」
 しかし、バーガーはすぐに失望した。共演者の誰一人として家に招待してくれる者はいなかったし、彼のプレゼントに礼を言ってくれる者もいなかったのだ。彼は覚った、「ハリウッドとは、魂のない商売の場なのだ」と。
 彼の唯一の楽しみは、友人のジャック・ニコルソンや他のスターと会える週末だけだった。バーガーはニコルソンが好きで、彼のことを“最高に面白い奴”と呼んでいる。バーガーが色々な悩みを打ち明けると、ニコルソンは「今の役はあなたに向いていますよ。アメリカ中が観ているから、今に有名になりますよ」と慰めたものだ。ところが、『ダイナスティ』組の連中は、バーガーをニコルソンやマーロン・ブランドに会わせてはいけない、と言い出した。ニコルソンやブランドがコカインをやってることはハリウッド中で知られていることだから、というのだ。
 さらにまた、最高級ナイトクラブの「スタジオ・ワン」に出入りすることもダメだと言われた。そこはホモの客が集まることで有名だから、というのだ。
「私は唖然とした。そのガタガタ言う連中、ピューリタン連中のことだ。それでいて連中は密かにポルノ映画を見ているではないか。私は連中の言う規則に従ったりはしなかった。すると私は一日おきにオフィスに呼び出されて“言うことをきかないと、あんたの役はだんだん消えていくことになるよ”と言われるのだった。私は答えてやった。“友達と会ってはいけない、一日中、部屋でじっとしていろって、本気で言ってるのかい?本気かい?ハイル・ヒットラー”って。というわけで、『ダイナスティ』での私の役は、11エピソードまでしか続かなかったのだ。最後は、私の乗った飛行機が山に激突して終りになった」
 『ダイナスティ』の役から解放されると、バーガーはやっと元気になって、ハリウッドを楽しむ余裕が出てきた。滞在を1カ月延ばし、ショッピングをし、ウォーレン・ビーティーに招かれたり、バーブラ・ストライザンドも彼のためにディナーを開いてくれた。
「大勢の人に会った。グレイス・ジョーンズ、リンダ・ブレア、サリー・ケラーマン、リチャード・ドレフュス、マイケル・ダグラス、そしてマイケル・フィリップス。むろん、千万長者の最初の夫ジミー・レンドールと離婚していたマリサ・ベレンソンとも会った。ハリウッドを離れると、私は完全に元気になった。この偽りの幻に彩られた魔法の都」



Ich-part14

 『ダイナスティ』の後、バーガーは『コードネームはエメラルド』(1985)と『Promessi Sposi』(1988。イタリアのテレビ映画)に出演した。
 1990年には『ゴッドファーザーIII』に出演したが、ここでは、バーガーの英語が上手くないと言いがかりをつけてきたアル・パチーノと喧嘩した。
 1993年には、バーガーは『ルートヴィヒ1881』(監督はスイスのフォスコとドナテッロ・ドゥビーニ)で再びルートヴィヒを演じた。
「美しい映画に仕上がったが、しかし私は非常にメランコリックな気分になった。最初のルートヴィヒ映画の思い出、ルキノとロミー・シュナイダーの思い出が生々しく蘇ってきたからだ」
 1996年には、二つの大陸で2本の映画を撮った。『Das Ungluck der Pharaonen』をモロッコで、そしてベネズェラで『Last Cut』を(「このときは車椅子に乗って演じる役だったが、これは思ったほど簡単なことではなかった。プールに落っこちたことさえあったのだから……」)。
 次の仕事は『La Revanche(復讐)』と『Affaire Dreyfus(ドレフュス事件)』だったが、バーガーは、本当は政治には興味がないんだと言っている。彼が興味があるのは人間で、だから政治家の生き方のほうに興味を持った。彼はクリントンに好意を持っていて、男は年がら年じゅうファーストレディとばっかりセックスしているわけにはいかないので、他の女が必要なんだ、なんて言っている。また、面白いことにバーガーはフィデル・カストロに魅力を感じるそうで、カストロのことを「セクシーな野郎」などと呼んでいるし、キューバの男たちはみんな「いい身体をしている」と賛辞を送っている。出来れば、ビデオカメラを持ってカストロと二人っきりになりたいと思っているらしい。
 次にバーガーはジーナ・ロロブリジダとの友情について語り、彼女こそ男たちから独立しようとした真の女であり、芸術家であると称賛している。さらに、ほかの多くの友人たちも、自分にとってはどれほど大切なものであるかと説いている。
「友達に囲まれていれば退屈しない。退屈と不正義というのが、私の最も嫌うことなのだ」
 バーガーはまた、弱者や抑圧された人々に対して共感する心を持っている。彼はかつてローマの路上で喧嘩をふっかけて監獄にぶちこまれたことがあったが、それは、警察が黒人のミュージシャンを理由もなく逮捕したからだった。その日は金曜日だったから、バーガーは月曜日までぶち込まれていたのだ。
 こういうことは、この1回だけではなかった。こんな話もある。
「マルチェロ・マストロヤンニ夫妻やアーシュラ・アンドレス、トーマス・ミランなんかと食事をしていたら、警察がテロリストの捜索で交通規制しているという話が伝わってきた。私は興味を持ったので、みんなに“ハリウッドからの電話を待ってなければならないから”と言って外に出た」案の定、警察に車を止められた彼は怒りまくり、結局、また監獄の世話になることになった。「そのときのメードのマリアの友人たちに対する対応は完璧だった。バーガーはどこに行ったかと聞いてくる友人たちに対して、彼女はシラを切り通したのだ。彼女には、私が進んで警察にタテついたことが判っていたのだ」
 警察がらみのエピソードには、こんなのもある。バーガーはローマの「パイパー・クラブ」で踊っていた。暑い日だったので、彼はクラブから道に飛び出して、街路樹の根本に小便をした。ところが、木だと思ったのは、実は婦人警官のブーツだったのだ。婦人警官は彼の間違いを許して、逮捕しなかった。しかし、そこにはパパラッチどもがいて、その写真が翌日の新聞に載ってしまったのだ。
 話を変えて、バーガーは、自分は舞台の芝居はしないと宣言している。(ちなみに、彼の好きな男優はオーソン・ウエルズ、ピーター・ユスチノフ、ピーター・オトゥールなんかだが)。バーガーは目の前に観客がいるとダメなのだ。だから、トークショウのときなんか、えらくナーバスになる。もっとも、年をとるにつれて、そういう見せ物も好きになってきた、と言ってはいるが。
 バーガーは次に、老齢とセックスについて語っている。
「セックスをしないと私はナーバスになり、ヒステリカルになるが、そういうときは冷たいシャワーを浴びる。私は毎晩セックスしないと気がすまない連中とは違う。リビドーはしっかり管理できているのだ。酒を一、二杯飲めば穏やかな気分になれる。若いころは、私は相手から誘われるのを待っていたものだが、今は、美しい少年をベッドに入れて“さあ、坊や、揺すっておくれ”と囁く。私のセックスは長く続かない。なぜなんだろうと自問することがある。私は厳しく、威圧的で攻撃的なんだ。欲求が大きすぎるのだ。そのことを考えると、セックスなんて本当はたいしたものではないと思う。半年間マスターベーションしていたっていいではないか。友情のほうがもっとずっと大切なものなんだ。それは薔薇に似ている。毎日面倒を見ていないと新鮮さを保てないのだ。
 容姿や服装は私にとってはたいしたものではない。私は雑誌『Women Wares Daily(女性の日用品)』で“世界のベストストレッサー”に二度選ばれたが、私の持ち物はたいしたものではない。靴はイタリア製かロンドンの手造り品。ソックスはミラノ製。ズボンはジバンシー。ジャケットはイヴ・サンローラン。シャツはローマ製。ネクタイはエルメスか免税店の物だ。
 私は年をとることを怖れない。隆顔術とか整形手術なんてしようとは思わない。私は54歳になっても、まだ見栄えもいいし、ライフスタイルも素敵だと思っている。
 私が今までに受賞した賞は、ヨーロッパのオスカーであるダヴィッド・ディ・ドナテッロ、サン・セバスチャン、ヴァレンチノ賞の3つ。これらのトロフィーはホテルに置いたままだし、他の賞には興味がない」
 バーガーは次に、マルチェロ・マストロヤンニ夫妻との伝説的なディナーの話や、メードのマリアの料理の腕について語ったあと、最後にこう言ってこの本を結ぶ。
「私のことをただの贅沢なスキャンダル男と思っている人は多いが、私は俳優なのだ。みんなが本を読んで判るように、わたしの感情を表現してみせるのが私の役目なのだ。私はヴィスコンティやティント・ブラス、デ・シーカといった大監督たちから学んだ。彼らが私を変えてくれたのだ。私は新しい映画作品に出るたびに、ルキノなら私のこの役について、なんて言うだろうかと考える。彼は私の夢の中で答えてくれるし、これを書いている今この瞬間にも、答えてくれている。彼はいつも私とともにいて、私を救ってくれているのだ。彼は、何もかもがうまくいくだろうという希望を与えつづけてくれている。しかし、かくも深く愛することが二度と出来るだろうか、と考えると、もう二度とないだろう、と私は思う。
 このごろ、私の力の源泉は自然である。田舎に行って、北オーストリアの友人たちを訪ねて、リラックスする。ロベルト・ムジールやエロチックな本を読んで時をすごす。荒れた日々は終ったのだ。気狂いじみた行動に出るのは、旅行やショッピングや乱痴気パーティーなんかの、ごく稀な機会だけだ。ルキノが生きていたときだって、何もしないで静かな日を送ったことはあったのだ。もっとも、次の日にはまたせわしなく動き回ったのも確かだけど。
 自由でないと感じたら、私は去って行くだけである。世の中には美しい物事がいっぱいあるし,私はそれを見逃したくないのだ。だから私は外に出て、イスチアへ行ったのだ。もちろん、人生は変っていくが、今でも私は新しい役、新しい印象、そして友達や自分自身に好奇心を持ち続けている。つまり、私は自分が好きなのだ。私は私。気に入るも気に入らないも、ご自由に!」
         




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