ヘルムート・バーガー初来日!
<インタビュー>

第1回東京国際映画祭(1985)



来日映画人インタビュー

雑誌「キネマ旬報」1985/7, 915


 ヘルムート・バーガーのホテルの部屋でインタビューを行った。白いパンツ、白いマリン・シューズ、淡いストライプのシャツというコートダジュールでのヴァカンス・スタイル。キングサイズのベッドの上に片ひじをついたリラックスな姿勢。インタビューをはじめた。


ヴィスコンティの思い出から聞かせてください。
 「彼は私にすべてを教えてくれた。あるいは与えてくれたといった方がいい」

映画だけではないということですか。
 「そう。映画の楽しさ、危険さはいうまでもなく、人生、生きることを教えてくれました」

その映画の危険さとは何ですか。
 「自分自身を見失うと言うことです。また、金のために映画に出演することの危険。つまり、金のために映画に出ることは最終的には映画界を去ることだと彼は言うのです。私も当然だと思う。だからというわけではありませんが、いつもシナリオをじっくり読んでから仕事にOKを出しています。もっとも、だからといって、いつもいい映画に出演しているとはいえません。デビュー以来、96本の映画に出ていますが、出来の悪い映画もあります(笑)」

イタリア映画の出演本数が多いですね。
 「そうでもないんです。私にはイタリア時代、フランス時代、アメリカ時代というように区分けできる仕事の歴史があります」

ヴィスコンティによって俳優としての基礎を作り、つまりイタリア時代に教育を受け、世界へということですね。
 「そうです」

 ヘルムート・バーガーはオーストリア音楽祭で有名なモーツァルトの街ザルツブルグのホテル業者の一人息子である。親の反対を押し切り、ウィーンで芝居の勉強をはじめた。後、ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』のオーディションを受け、華々しいデビューをすることになった。


バーガーさんは様々な国の映画に出演なさっていますが、ドイツ語の映画には出たことがないようですね。
 「そう。一本もありません」

出たくないのですか。
 「チャンスがなかっただけです。フォルカー・シュレンドルフ、死んだライナー・W・ファスビンダー、あるいはヴィム・ヴェンダースといった秀れた監督がいる。近年のドイツ映画はヨーロッパの中で一番力があると思っています」

何か計画はないのですか。
 「あります。ヴェルナー・ヘルツォークの新作にでます。ヴァカンス明けの9月か10月にクランク・インです」

初めてのドイツ映画ですね。
 「楽しみにしています。でも、私はオーストリア人です。同じドイツ語圏といってもやはり違います」

オーストリア映画を作りたいということですか。
 「ええ。もちろん俳優は一つの国にこだわらず、インターナショナルでいいのです。ただ、テーマをオーストリアとしたいのです」

何かイメージするものはありますか。
 「いや、まだ何も固まっていません」

そのときは監督をするのですか。
 「出来れば。でも、まだまだ勉強しなければなりません」

オーストリア映画の時はプロデューサーですか。
 「いや、オーストリア映画が制作出来るような環境作りをしたいと考えてるだけです。そのためには、今まで学んだ事を役に立てたいと思っています」

 エキセントリック、狂気を演じる俳優としてイメージづけられているヘルムート・バーガー。国際俳優ヘルムート・バーガー。しかし、彼は、オーストリアというかつての大帝国の人間らしい大らかさと、オーストリア人としての自分を見つめる眼を持っている。ドイツ語、イタリア語、フランス語、英語を駆使して国際俳優ととして活躍するだろうが、彼とヘルツォークの映画、そして5年先だろうというオーストリア映画に期待したい。
永島章雄
宿泊先:東京プリンスホテル(seiraさん情報)




第1回東京国際映画祭は,1985年5/31-6/9まで開催された。
バーガーの来日目的は、映画の参加ではなく、どうやらこの映画祭のイベント出場にあったようだ。
6/5・6の二日間、東京都体育館で「世界映画人チャリティー・テニス・トーナメント」という催しがあり、ヘルムート・バーガー、マリア・シュナイダーなどの世界の著名スター、テニス愛好家の監督など約30人が参加している。
テニスに興じるバーガー・・・、ああ!当時はそんなこと、知らなかった!!

このインタビューで語っていた「ヘルツォークの映画」と「オーストリア映画」に関しては、現時点で私の把握するバーガーのデータ・ベースには該当する作品が見あたらない。この件に関して、何か情報をお持ちの方がいましたら、こちらまでご連絡ください!

<「スクリーン」に掲載された小森和子によるウオッチがこちらにあります>


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